いつしか街路樹の木々も新緑から濃緑に変わり、昼間の暑さも厳しくなっていた。アスファルトから熱気が立ち昇る休日のオフィス街で、目当ての建物を探す百合子の姿があった。友香ちゃんの保育をする過程で、彼女の心に巣食っていた波の正体が判明し、人生を変える大きな決断をしたからだ。彼女の足は中層ビルの前で止まった。そしてビルの入り口脇に設置された入居社名板を見、5階の目的社の記載を確認した。彼女はフロントを抜けエレベーターを目指した。すでに男女数人が2機あるエレベーターを待っていたが、程なくすると1機が下降してきた。スライド扉が開くと先着順に乗り込み最後が百合子だった。彼女は乗り込むと点灯していない5階ボタンを押した。一気に5階に到着、スライド扉が開きエレベーターから降りたが、しばしの間エレベーター前で立ちすくんでしまったのだ。急に不安というモヤが心に蔓延り躊躇したのだ。
アポイントの約束時間まで残りあと数分、もう後戻りはできないと自身に言い聞かせ歩みを開始した。
『総合調査会社 GLエージェンシー』と書かれた社名看板の前に立つと、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いてインターフォンの呼び鈴を押した。チャイムが鳴り数秒で応答があった。百合子が名乗るとドアの開錠音がしたと同時にドアが開いた。
「美山様、お待ちしておりました。」パンツスーツ姿の女性相談員『牧野香織』が出迎えた。百合子は社内に通されると2部屋並んだ相談室のうちの一室へ案内されたのだ。10畳程度の広さの部屋で、天井下あたりには企業理念や料金表など数種の額が並んでいた。彼女は3人掛けソファーの真ん中に座ると、室内をまじまじと見回した。1周見回したころ、ドアをノックする音がし、女性事務員がガラスコップに注がれた冷たい麦茶を運んできた。
「ようこそお越し下さいました。」事務員はそう言って百合子の前に麦茶を丁寧に置くとそっと退室した。百合子は暑さと緊張で喉が渇いていたようで、さっそく一口含み喉を潤した。彼女が案内された相談室の外で音がし、ドアをノックする音と同時にドアが開いた。
「お待たせ致しました。」と言いながら牧野香織が入室し、その後ろに人当たりの良さそうな所長の『堀田祐介』が入室した。
2人が入ってくると百合子はサッと立ち上がり、牧野と堀田に挨拶をした。3人は真正面に向き合うと、堀田が名刺を差し出し、続いて牧野も名刺を差し出した。百合子も名刺を差し出し、一連の名刺交換は終わった。
3人はソファーに腰を下ろすと他愛もない雑談が始まった。この雑談は依頼者の緊張や不安な気持ちを和らげる意味もあるが、依頼者の人間性を理解する意味もあった。雑談も進み百合子の緊張が解けたと判断した堀田は内線ボタンをおした。
数秒後、ドアをノックする音がし、堀田が返事をするとドアが開いた。
「失礼します。」3人の視線がドアの方向へ重なった。入ってきたのは『逢川銀治』だった。
逢川銀治と美山百合子が初めて出会った瞬間であった。